超専寺は蓮如上人が寛正4年(1463)10月13日に寺号の公称を許されたと伝えられ、また、親鸞聖人が越後ご流罪の時、宿泊されたといい、二十四輩にも数えられている。 その因縁で聖人の弟子・明了房が寛元2年(1244)8月15日ここへ大輔道場を設立、同道場8代・了然房が「念佛山超専寺」を公称した。 蓮如上人がここを尋ねられ「此の地は高祖聖人越路御左遷最初の御止宿にし、奇瑞不思議人口に残る。まこのにこれ専修念佛化益弘通の霊場なり」と称賛されており、直筆の裏書のある十字尊号が下賜されている。 安永五年の大火で道場は消失し、天明年間に現在の超専寺再建となった。
超専寺には古くより聖人ゆかりの旧跡寺院として各種の版木を収蔵し参詣者に頒布されたようである。
下はその一つであり、これより専寺は現在の茨城県下妻市・光明寺の分寺であることになる。
(親鸞聖人 二十四輩順拝記より抜粋)